娘さん11歳の「母の日」を振り返る。

毎日やることがたんまりあって、見たいもの、読みたいもの、行きたいところがたくさんあって。

おかげさまで幸せに過ごしております。

その分、文章にする、ということに全く気乗りがしなくなってしまっていました。

でも、文章にしない日々を送ってると、なんだか自分の思いの輪郭がぼけてくるなあ、と。

いろいろ感じても、思っても、流れていってしまう。

流れていく中で、どこに自分が今本気で感動しているのか、大切にしたいのか、そういうことも一緒に流れてしまう。自分という人間がわからなくなる。

それ、いやだなあ。

と、この漢字を忘れないためにも、書き残してみました。

うん、やだもん。

なので、少しの文章を都度書くわたしになろうっと。(宣言・・・)

例えばこの文章をタイピングしている横には、娘さんがおります。

そして彼女は私の腕を触るのが趣味なんですが(笑)、私はむしろ触られるのがあまり好きではありません。

毎日、まるでバトルのような攻防を繰り返しています。しているうちに「触られるのが不快だ」というのがむしろ煙に巻かれているほどです。

だけどイヤなものはイヤ。

10年位前の私は、それが言えない人でした。

それができるようになった一つのきっかけが、紛れもなく、娘さんとの関わりです。

わたし、子どもというのは、いろいろな役目を担って生まれてくるものだ、と常々思っていまして、うちの娘さんはどうやら、私が私の感情をちゃんと表に出して表現できるようになる手助けの役目をしょってきた、と勝手に捉えています。

初めに噴出したのは、授かれない、(胎内で)育てられない、自然の仕組みで産めない、母乳を充分に出せない・・・などから出てきた悔しさや情けなさ。

そして、泣き止まない彼女を抱えていた時、「抱っこしようか?」と親切心で言ってくれるお義母さんに対して、なぜだか感じてしまった対抗心。(これはかなりドス黒い感情で、いいこちゃんの嫁をしていた当時の私には相当なショックでした。)

大好きなはずなのに、イライラしてしまう。

こうしたいと思ってもできない自分がたくさん出てくる。

理想と現実の間でままならないことが増えすぎて、

でもそれを力技でなんとか御してしまおうとしていたので、

(娘さんいわく)「保育園の頃のおかあさんはめちゃ怖かった」

のだそうです。

自分で自分が統御できない状態でしたね。

それでも手探りでやりとりしていくうちに、彼女に対して自分の感情を素直に表現し、説明し、間違えれば謝罪しながら関わることができるようになりました。

ちょうどこの間に、未来食つぶつぶに出会い、つぶつぶの食と学びのおかげでさらにクリアに、楽になっていったのですが、そのお話はまたいずれ。

とにもかくにも、本気で生きるとか、自分を知るということを、子育てをとおして練習させてもらっている毎日です。

あ、娘さんとはとっても仲良しですよ。

仲良しだから、腕に触るなーーー!と言えるのです。

親ばかですが、素敵な人に成長中だと思います。

こんな言葉をさらりとくれる人です。

ちなみに、先日娘さんと一緒に会いに行ったこの方は、触るのも触られるのもオッケーだとか。

太陽みたいなしろーちゃん。

次はしろーちゃんに会いにいったことを書こう。